営業ってつらそう。。売れることにこだわると。
営業=売ること
売ることっていうと
相手が嫌な気持ちになるという印象がある。
さらに、自分も傷つく。
しかし、視点を変えてみる。
売る→売れる
売れる状況にするのが営業ではないか?
売れるときは、どんなときか?
消費者は突然買うことはない。
「ほしい!」という欲求に気付くときだ。
では、いつ「ほしい!」が生まれるのか?
必要性を感じるときとはいつなのか?
食事はお腹が減ったとき
寝るのは眠たくなったとき
声をかけるのは気になったとき
寒いから服を買う
危ないからヘルメットをかぶる
夏前だからダイエット
しかし、
お腹が減ってなくても食べることはある。
欲求階層説で説明ができそうだ。
消費行動もこの5つに分類される。
では、売れる仕組みを作るときには
売るものの特性・強みを把握し
何の欲求にアプローチができるのか
考える。
たとえば、
ヘルメットだと安全欲求
なら安全を提供すべきところを探す。
現在安全でないところを探すということ。
これはヘルメットの必要性である。
ほかのヘルメットではなく、
我が社のヘルメットでないといけない
理由がいる。
安全欲求をさらに追求するのか?
他の欲求を満たすのか?
過剰品質にならないことに
注意しなければならない。
たとえば、
軽量化されたヘルメット
汗を吸う機能の付いたヘルメット
そういった発想と技術が必要である。
つまり、買う人の欲求を把握する。
常に敏感に買う人の心理に追求する。
ここから販路が見えるのではないか?
やはり、人の心を知ることが大事。
「創造力」美術館にいって、考えた
美術館では、
目に見えないから
わからないから
創造するということ。
美術館の作品は、
今にはない、人、もの、
その切り取った時間の流れ
すべての解釈をみる者に与えてくれる。
創造力は教えられるものではない
のかもしれない。
教われるのは、
創造力ではなく、表現力だろう。
創造力は隠れた部分や完璧じゃないところ
に生まれるものかもしれない。
だからこそ、
わからない、未完成なことを大切にしたい。
子供の頃は全てがわからない。
だからこそ、大人が想像もつかない
表現や行動、発言をするのだろう。
創造力をつけたいのなら、
すべてを語り、全てを伝えることをやめる。
そのことが人々の成長を促すのだろう。
与えることをやめる。
自分が思うように育てるのではない。
その子が思うように育つこと、
それを支援すればいい。
今のわからないをいつまでも
持ち続け、創造力をいつまでも伸ばしたい。
伸ばすだけでは、終わらない。
たくさんの見えないこと
わからないことから
自分の頭の中に創造した絵や答えを
世の中にどんどん表現する。
表現することでさらに
創造力が磨かれる。
そんな気がしています。
赤裸々に営業という仕事を近くで聞いて。
営業=セールス
営業マン=セールスマン
という印象だった。
まだこの時期でも研修の段階で
まだ営業同行さえしていない。
だからこそ、書いておきたいことがある。
①営業としてのコミュニケーション力
②社内を巻き込む力
この二点について今感じることを深めたい。
①営業としてのコミュニケーション力
コミュニケーション力とは、
就活でよく聞く
キラキラワードであったが、
私自身甘くはみていなかったが、
現実はもっとシビアだった。
まず感じたことは、
コミュニケーション≠受け答え
受け答えを始める前に
相手の評価は始まっている。
服装、立ち振る舞い、表情
第一印象をコントロールできていることが
第一歩である。
次に挨拶。
どんな表情、どんな声、どんな大きさ
考えるべきことはまだまだある。
さらに、その外見が全世代に
マイナスに映らないか?
というところである。
まずは、自分の見られ方を知ることから。
プレゼン力とか、質問力とか
大事だろうけど、
そこまでいけないと意味がない。
その姿、振る舞いが
企業のイメージを作り出す。
企業イメージとしての期待
その期待と同じ、
また、それを超える印象だとすれば
信頼を生むきっかけにはなるだろう。
②社内を巻き込む力
「巻き込む力があります!」
これも就活キラキラワード
本当に巻き込むとは、どうゆうことか?
何もない暇な人を誘うのではなく、
限られた時間の中で仕事がある人
を巻き込めるのか?
同じ会社なのだから手伝って当然ではない。
そのためには、なにが必要なのか?
あいつの仕事なら手伝うかぁ
という、あいつでいないといけない。
若いうちには、巻き込む対象が
かなり上の世代になってくる。
そんな忙しい、上の世代を巻き込むことが
できるのか?
また、巻き込むにはなにができるのか。
それは日頃からの何気ない挨拶
コツコツ努力する姿勢ではないだろうか?
営業の滑り出しから
前提にも立てていない自分に
少しがっくりです。
ですが、檄を飛ばし、
毎日できることを少しずつ増やそう。
本当に進歩ある?評価ってなんだろう?
ひさしぶりのブログの更新。
いままでは、書くというアウトプット。
これまでは行動をアウトプットの中心として
活動をしていました。
そこから見えてきた【評価】の話。
どんな活動や行動でも【評価】は重要です。
【評価】をするからこそ、成長があります。
私が重視していることは、
PDCAサイクルです。
よく聞かれる方はおられると思いますが、
計画、実行まではできても、
効果的な評価、改善は難しいと思います。
リーダー視点で考えると、
行動には必ずいい面も悪い面もあります。
たとえば、
企画内容がスポーツ大会とし、
実行の当日の朝に小雨が降ったとする。
天気予報では、昼から晴れ。
あなたはどうしますか?
この判断には3つの選択肢がある。
- 中止にする。
- 実行する。
- 代替案の企画をする。
このどれをとってもいい面、悪い面はある。
状況をポジティブにとらえるか、ネガティブ
にとらえるかで予測も変わってくる。
しかし、
評価では、判断がよかったか悪かったかの話
になってしまう。
必要な【評価】は、
どの選択肢の決断をしても
最善をつくせたかどうか。
要は『準備ができていたのか?』
という部分である。
評価すべき点は、二つに絞られる。
- 実行した企画内容の改善
- 判断できた選択肢全ての準備の改善
その状況での判断を結果論的に評価しても
次に活かすことはできない。
結果論ではなく、
【行動論】に落とし込む必要がある。
どうすればよかった?ではなく、
あなたがその状況なら次はどうするか?
なにができるのか?
次にくる判断、未来に活かせる
【評価】が必要なのである。
その評価と改善をつなぐことが
効果的な改善を生むことができる。
そこからみえることは、
やっていない行動については、
評価はできないのである。
だからこそ、
考えたことはできるところまでやること
が重要である。
考えた=やってない。
やったことしか、評価できないなら
どんどんやる。
計画は、行動するためのもの。
計画段階でわからないことは、
少し横においておく。
この思考が重要である。
さぁわからないことは、ほっといて
行動をはじめよう。
つまり、
評価=新たな行動の種
なのだろう。
ゆとりを忘れた大人たち
前々回の記事で取り上げた
こどもたちが忘れてはいけない
大切なものとして挙げたが
好奇心や好きという気持ち
さらに、それを表現する時間。
しかし、それを忘れたのは、
大人たちではないでしょうか?
大人になれば仕事に終われて
忙しさで心を亡くしてしまう。
心を亡くすとどうなるのか?
心を取り戻すために
時間という余裕を作ることにむかう。
全てをこなすべきものと変換してしまう。
やるべきことに
本当に大切にすべきものが潰される。
例えば、
- 一人暮らしでの食事、睡眠
- パートナーとのコミュニケーション
- こどもの何気ない成長に寄り添うこと
人によって大切なものは違いますが、
ゆとりの中でしか気付けないもの
があったのではないでしょうか?
世の中は目に見える成果を求めますが
最近は目に見える成果を急速に
求めることに違和感を感じます。
楽しく、面白くやっていたら
成果がでていたというのが
心の消耗もなく、
長期的な成長が
見込めるのではないでしょうか?
一億総活躍社会というのは
経済成長の名の下に
人口減の補填をする一億人が疲弊し、
大切なものを見失う時代へ
歩んでいくかもしれません。
目の前にある当たり前を
大切にしたいですね(^^ )
次回はゆとりとキャリアを
組み合わせた記事を!