SNSから見える『悟り世代』僕たち、私たちの今。
リア充に隠れた問題
社会に生まれる不平不満の理由を
一つ見つけてしまった。
充実したいと誰もが思っている。
しかし、それを妬んだり
受け入れられない部分があるのだろう。
本来はリア充な状態は定義できない。
それぞれの充実は違うはずである。
しかし、ここには重要な問題が隠れている。
・他人を認められない。
・誰にどうみられるかが気になる。
・弱い自分を見せられない。
この要因を考えると、
自分を認められていないこと、
自己肯定感が低いことが考えられる。
なぜ自己肯定感の低い人が多いのか?
自己肯定感とは、
・自分は大切な存在だ。
・自分はかけがえのない存在だ。
という心の状態である。
さらに、
自己肯定感は乳児期、幼少期にどれだけありのままの自分を受け入れてもらったか?ということらしい。
親に受け入れてもらったか?
親世代は、厳しい指導を受けてきた。
部活では、水も飲めず
親や先生には体罰を受けた。
そして、働いたのにバブル崩壊で
努力は水の泡になった。
会社ではポストがつまり、
自分が評価されるために、
他者を認められなくなってしまった。
そうやって、認めることも
認められてこなかった人も、
認め方がわからないらしい。
親世代は一時期のバブルの記憶から
人口が増えた需要があった時代に
売り上げが上がったこと
を未だに誇りに思っている。
しかし、そんなバブル崩壊、
不景気な時代に育った子どもは
悟るようになった。
認められず、否定された子どもは、
やりたいことを持てなくなってしまう。
そんな世の中で希望なんて持てない。
経済は成長することがない。
では、自己肯定感とはどうすれば
高くなるのでしょうか?
次回自己肯定感について書いてみます。
五月病突破?どーすれば突破できるか考える。
五月病の正体が見えて一週間。
失敗しないことを考えるという
自分の弱みに力を入れて仕事をしていた。
ただただ怒られたくなかった。
しかし、それは体にストレスだった。
そのときに思い出したのは、
自分らしさとは何か?
自然に意識せずにできることはなにかと、
一年間を振り返るとたくさんの人に
質問をしていた。
目標があり、質問をした。
仮説を検証し続けた。
提案が採用された。
採用されて、ただただ嬉しかった。
そのプロセスを評価してもらえた。
そこに私の自分らしさがあったのだと。
誰かのために自分が努力する
自分がどう評価されるかではない。
誰のための
何の仕事なのか
なぜ必要な仕事なのか
ただシンプルにそれを考えて行動する
自分がもっと効率的にやるには?を考える
どうすればいいのか?
現状を疑い、仮説を立て
検証をすることである。
自分自身が本来の姿でいること。
誰かの目を気にしていたのは
自分だと気付けた。
誰からも好かれるのは難しい。
私が健全に継続できるやり方だと
誰からも好かれる、評価されるのは難しい。
なので、嫌われないように
一生懸命仕事をしようと結論がでた。
みなさんは、どんな意識で
仕事をしていますか?
五月病になった。
社会人二年目。
やっと走り出した配属一年目。
私は一年間他の社会人の同期とは違い
一年間もの研修に入りました。
9ヶ月の現場研修。
3ヶ月の営業研修。
同期とともに過ごした時間。
夜勤や肉体労働に励んだ時間。
やっと始まったはずだった配属二年目。
だけど、思ったより社会人の二年目は、
うまくはいかないものだ。
一年目もこの5月はしんどかった。
4月は頑張れた。
GWがあるから。友達と会えるから。
しかし、夏まではとても遠く感じる。
自分が思い描いていた目標とは、
大きく違う自分に気付く。
今までとは違う遙か年の離れた先輩。
経験も違えば、価値観も違う。
今までの同期との競争から
遙か遠くにいる先輩に
自分の力の無さを感じ、
自分が努力し、
自分の成長を認めるしかない。
だけど、自分の出来なさに落ち込むことが
認める自分を越えたみたいです。
自分で励ますけどもう追いつかない。
体は疲れ果て、熱がでました。
そのときに感じました。
頑張りすぎていたことに。
今までの頑張り方ではない
切磋琢磨や、励まし合うではない。
全く違う経験を積んだ人々と
仕事をするというやり方を。
それゃあ怒られるし、
出来ないし、
足りない、
時間が違いすぎるから。。
それを認めるしかない。
だけど、諦めるのではなく、
あんまり会社に関係ない人と
笑いあえたらいいのかも。
冗談言って、笑いあう、
そんな場がいるのかも。
頑張り過ぎもほどほどに。
コミュニケーション力とはなんだろう?
昨日学生主体のグループディスカッション
練習会に参加しました。
そこで感じた学生にも、自分にも
まだまだ足りない部分の話。
その足りない部分というのは、
コミュニケーション能力。
問題を明確化するには
コミュニケーション能力という
定義の話だと思う。
ただ話せるというのは
コミュニケーションができているとは違う。
コミュニケーションとは自分が思っている
考えていることを誰の頭にも
描けるように伝えるということ。
さらに、相手が思い、考えていることを
自分の頭に描けるように質問すること。
多くの学生は自分を
分かってもらいたいと
不満を嘆くことがあるが、
分かってもらえる努力
相手を分かる努力をしなければならない。
相手に求めても、相手は変わることはない。
しかし、自分が変わることはできる。
だからこそ、自分がまずは努力する。
伝え方、言葉、姿勢、表情
相手が聞くといっても
目で見て、耳で聞いて、頭で考える。
そこに入る情報を全て伝わるように
設計して、正しく届ける
意識が大切なのだろう。
間違った情報は、不良品である。
不良品を流さぬように
リコールにならないように
一つ一つ丁寧に意識することが
コミュニケーション能力向上
に繋がるのだろう。
本当にコミュニケーションは難しい。(笑)
見えない壁はどこにあるのか?
最近は、自分のコミュニティから抜け出し
動き出すことで気づくことがある。
それは、各自の世代間の壁である。
やはり、同じ年代、価値観を持つ人といることを人は好む。
しかし、そーいったコミュニティから抜け出すことで
得られることがあることを私は抜け出すことで知ることができた。
多くの人々はこのコンフォートゾーンにいることを好む。
このコンフォートゾーンとは、安心していられる場所である。
しかし、コンフォートゾーンにいることで成長は止まってしまうそうだ。
それは感覚的にわかることだろう。
しかし、多くの人は挑戦することを拒んでしまう。
なぜなのかを考えた時に、自分自身が作り出した壁が出来上がる。
お金がない、時間がない、コネがない。
じゃあまず何かに参加することから始めるしかない。
しかし、知らないコミュニティに入るのが怖い。
動けない人がいるのなら、
動ける人が出会える場(=ラーニングゾーン)とつながる機会を創り出すことが
大事なのだろうと思います。
壁を知るためには、ぶつかるしかないと思う今日この頃です。