依存から考えるミライ
前回の記事から少し未来を考えます。
人は歴史から何に依存してきたのか
生きるために動物を狩り、
農作物を摘んで、水を飲んだ。
火を使い、道具を用いた。
文字を発明し、時空を超えた。
そんな人の不便を便利にする。
いわば、人の甘え。
それに対して依存してきた。
車がうまれ、飛行機がうまれ、
ミサイルがうまれ、原爆がうまれ、
多くの人が亡くなった。
人類は何がしたいのか?
幸せになりたい。
幸せになれないから奪う。
幸せとはなにか?
便利になることではないか。
インターネットの発達。
今では、検索すれば
なんでも答えがある。
覚えることも必要ではなくなった。
誰とでも連絡が取れて、顔を見て
電話ができる。
何をしているのかSNSでもわかる。
孤独を感じなくていいのだ。
いつでも美味しいご飯がある。
いつでもなんでも手に入る。
じゃあまだ人類を
幸せにする不便はなにか。
さらなるコミュニケーションの促進。
相手の気持ちがわかるようになること。
また、意のままに操ること。
言語を超えた
コミュニケーションツール。
または、その代用。
このような。
さらに、働くこと。
単純な仕事はロボットに任せる。
どんどんロボットに甘えよう。
なんでもロボットができるようになる。
人は何にもできなくなる。
ご飯をつくり、食べさせてくれる。
なんて楽な生活なんだ。
じゃあどこまで
いったら幸せになるのか?
どんどん運動機能は低下
思考力も低下していく。
主導権はすでに人間にはない。
なぜなら人間は甘えるのである。
昔から流行っている占いを頼る文化
これが常にとなりにいたら?
あなたに主権はない。
それに気付くのはきっと
人類が滅びる時である。
しかし、滅びない人類がいるのなら
それは古代ギリシアと同じように
哲学のようなことを考えることが
好きで議論し合う人類が残るだろう。
だから皆の知る宇宙人のように
頭ばかり大きな人類になるのだろう。
これはかなり先の話。
もう少し近い未来を考えないと笑