「創造力」美術館にいって、考えた
美術館では、
目に見えないから
わからないから
創造するということ。
美術館の作品は、
今にはない、人、もの、
その切り取った時間の流れ
すべての解釈をみる者に与えてくれる。
創造力は教えられるものではない
のかもしれない。
教われるのは、
創造力ではなく、表現力だろう。
創造力は隠れた部分や完璧じゃないところ
に生まれるものかもしれない。
だからこそ、
わからない、未完成なことを大切にしたい。
子供の頃は全てがわからない。
だからこそ、大人が想像もつかない
表現や行動、発言をするのだろう。
創造力をつけたいのなら、
すべてを語り、全てを伝えることをやめる。
そのことが人々の成長を促すのだろう。
与えることをやめる。
自分が思うように育てるのではない。
その子が思うように育つこと、
それを支援すればいい。
今のわからないをいつまでも
持ち続け、創造力をいつまでも伸ばしたい。
伸ばすだけでは、終わらない。
たくさんの見えないこと
わからないことから
自分の頭の中に創造した絵や答えを
世の中にどんどん表現する。
表現することでさらに
創造力が磨かれる。
そんな気がしています。