大企業を脱サラした24歳の丹波篠山での起業日記

丹波篠山を舞台にやりたいことを形にしていきます。何もない若者がどこまでやれるか頑張ります!

僕らが『愛されたい』という事実を認めよう。

人が必要としているものはなにか。

 

昨日のブログでも取り上げていた人が必要としているもの

考えてみる。今日はそんなブログです。

ちなみに昨日のブログ↓

asatoyo.hatenablog.com

 

 

分け合うことの強さ

 

身近な生活で考えてみると、
のどをうるおす水。

体をつくる食べ物。

雨風から身を守る家。

身を守る服。

敵から身を守る武器。

ある一定までは自分を満たすために必要なもの。

 

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生活必需品となるものな気がする。

しかし、最後の『武器』から、

少し攻撃性が見えてくる。

 

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自分を満たすためのものを、

奪い合うのか、分け合うのか。

必要とするものを分け合うことができると

誰もが幸せになるのだろう。

 

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僕たちは、自分が好きだから

自分さえよければ、自分はすごいんだぞ

言わんばかりに、お金を溜め込み、弱者を見下す。

 

僕たちは分け合うことができなくなってはないだろうか。

 

分け合うとチームになる。

奪い合うと戦いになる。

数が大きなチームを作ると、

強くなれる気がする。

どんどんと仲間を増やす。

どんどんと仲間も入ってくる。

 

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そのチームには、平穏がもたらされる。

みなで分け合うからだ。

家や食べ物、服、水を必要とした分だけ

分けあった。

そうすれば、よかった。

 

分け合うことができたら、

きっと満たされる。

 

限りある資源を分け合うだけで、

豊かになれるのかもしれない。

 

なぜ分け合うことができないのだろう。

なぜ一人で独占したくなるのだろう。

 

自分が生活する。だけでは、

満足できなくなっているのだろう。

 

華美な生活を求めるのだろう。

なぜ華美な生活をするのか。

それが誰かによって成功や正解だと

教えられたからなのかもしれない。

誰かに認められたいのかもしれない。

 

 

そんな僕らが根源的に求めるものはなんなのか?

僕たちは生まれた時に、

産声を上げた時に何を求めたのだろう。

それは、母親からの無条件の愛。

胸の中で抱きしめられる感覚なのだろう。

 

僕たちは何を求めているのだろう。

 

 

僕たちの今の社会は、

愛されたい人でいっぱいなのかもしれない。

きっと愛されたい人たちは

愛することを忘れてしまっているのではないか。 

 

まずは、隣にいる誰かに真摯に向き合うこと。

家族に対して心を馳せて、言葉を送ること。

そんな少しのことを忘れているのではないだろうか。

 

自分に自信がないから、強さをアピールする。

しかし、強さでは人は満たされない。

人は、愛されることで満たされるのです。

お互いを認め合う。まずは自分を認めること。

 

こんなにも不寛容な社会を作り出しているのは、

SNSやマスメディアではなく、

自分自身の内なる声なのかもしれません。

自分を許して相手も許す。

きっと何かが変わるとはず。

 

今週もよく頑張った。

明日は寝坊してもいいんじゃない。

たまにはそんなこともある。😁

 

 

明日は携わらせてもらっているイベントです。

『あ、いける!』そんなことないですよね。

楽しんできますので、お家でゆっくりお過ごし下さい😁

 

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