大企業を脱サラした24歳の丹波篠山での起業日記

丹波篠山を舞台にやりたいことを形にしていきます。何もない若者がどこまでやれるか頑張ります!

ダメダメだった自分を書いておく。

前回の自己肯定感の続き。

 

今回はかなり自分のことを残すことにします。

 

最近は、何事も前向きに捉えたり、

 

常にどうすればいい?って考え、

 

不可能を可能にできると信じています。

 

 

しかし、高校生の僕はなにもかも

 

やっても仕方ない。と思っていました。

 

なぜ、諦めてしまうようになったのか?

 

ここに大きなヒントがあると思います。

 

痩せたくて始めるサッカー教室

 

僕は小学生からサッカーをしています。

 

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最初は肥満児のダイエット目的と

 

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兄がやっているからという理由。

 

だけど人生の転機が訪れたのも

 

サッカーでした。

 

小学六年生でキャプテンになりました。

 

たった3人しか

 

六年生はいませんでしたが。笑

 

だけど、キャプテンに相応しくなるべく

 

毎日走ったり、ボールを蹴ったり

 

友達を誘ってミニゲームをしたりと

 

努力しました。

 

全然試合には勝てません。

 

だけど、サッカーが上手くなっていく

 

そんな日々が

 

自分に自信を与えてくれました。

 

ケガに恵まれたサッカー人生

 

自分を追い込み、成長していく

 

その過程が楽しく、勉強とも

 

中学生なりに上手くいっていました。

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だけど、二年生の大会前に

 

鎖骨を骨折します。

 

三カ月の安静です。

 

そのときはまだポジティブでした。

 

だけど、2度目がやってきます。

 

二年生の夏。

 

ケガからも復帰し、

 

レギュラーに戻るために必死でした。

 

毎日走る。

 

練習後にも走る。

 

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とにかく、自分を追い込みました。

 

夏はみんなが体調を崩す中、

 

腰の違和感を我慢してバンテリン

 

背中に塗り込み出場。

 

その日の夜には痛すぎて病院へ。

 

結果は疲労骨折。

 

しかも、腰の疲労骨折。

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治らないと言われました。

 

腰痛を抱えながらのサッカー。 

 

なにもかもが嫌になりました。

 

努力が全てだと思っていたのに、

 

裏切られたような気持ちでした。

 

努力したってしょうがない。

 

自分の中で高校最後まで

 

ケガを理由にサッカーとも

 

自分ともむかえてなかったと思います。

 

そんな不幸の中のヒーロー気取りは、

 

誰も認めることもできず、

 

自分も好きになれず、

 

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最後には友達は3人になりました。

 

勉強に逃げた挙句

 

志望校を下げ続け、

 

唯一受かった大学に

 

ほっとしたのでした。

 

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このときの自分が大嫌いでした。

 

僕はコンプレックスばかりになっていました。

 

今はそんな自分を認められるようになりました。