大企業を脱サラした24歳の丹波篠山での起業日記

丹波篠山を舞台にやりたいことを形にしていきます。何もない若者がどこまでやれるか頑張ります!

何がやりたいのかを明確に整理する。

長文だけど本音です。

 

 

【世の中の苦しいを楽しいに変える。】

大学生のときに見つけた自分自身の生きる理念だった。

僕は、自分が幸せになってはいけないと思っていた。

だからこそ、世の中の苦しいを楽しいに変えたかったのだろう。

当時見えた社会は大学生の僕にはみんな苦しんでいるように見えた。

 

仕事、勉強、人間関係に苦しんでいるように見えた。

社会は理不尽で、苦しいのが当たり前なんだって。

だけど、当時の僕は楽しいに変えたかったみたいだ。

 

【なんで楽しいに変えたかったのか?】

僕はあまり言ってはこなかったが『自殺』というのがとても嫌だ。

今は、死ぬという選択肢を持つことはいけないことではないと思う。

だけど、それ以外の選択肢を持つことができなかったのかと思ってしまう。

真面目すぎるが故に選択肢を消していってしまう。

日本では、お金がなくても死ぬことがない。

しかし、自らが命を絶ってしまう。

そんなことは誰も望んでいないはずである。

 

追い込まれていく社会ってやっぱりおかしいと思う。

逃げてもいい。辞めてもいい。弱くてもいい。

そんな人間らしさをみんなわかってはいるのにわかってはくれない。

それを認めてしまうと今までの自分を否定してしまうことになるから。

できる自分でいないといけない。かっこいい自分でいたいと思うからこそだろう。

幸せの水準が上がりすぎたからこそ不幸な人が増えている。

幸せだぜ競争はやめにしよう。

 

【誰も悪くない】

子どもが苦労しないようにと強くしようと親は子に厳しくする。

簡単には子どもを認められない。もっと自慢の息子、娘にするために。

だけど、その子どもは頑張らないと認められないと自分を苦しめる道を歩む。

できないと落ちこぼれのレッテルを貼られる。

だけど、できないことをできるようにすることがテストの成績を上げることだ。

勉強ができない、運動ができない、そんなことで自分はダメだって思う。

できるようにしようと大人が頑張る。やらないと大変なことになるよって。

できなくても大丈夫なのに。

いけないと決めたのは誰でしょうか。

 

【人と違っていい】

人と違う自分はいけないことだと思ってしまう。

普通じゃないよ。いや、普通ってなんですか?

できないことを社会は認めてくれない。

頑張らないと誰も認めてくれないと思っている。

頑張り続けた人ほど追い込まれてしまうのだろう。

頑張るから楽しむに変えていこう。

ここまでやってきた努力を誰かと比べて

どこかで自分自身を認めてあげられなかったりする。

今までの許せない自分がいる。

もう許してあげよう。楽しんでいいのだから。

 

【選択肢を増やす、一歩踏み出す機会を創る】

私は今多様な生き方を知ることができた。

今の若者が我慢できなっているのではなく、

情報過多になり、新たな選択肢を持てたからだと思う。

見える選択肢をもっともっと増やしていきたい。

そして、その人が生きていることを肯定でき、

伴走できる社会を創りたい。

『もっと自分で決めたらいい。』

『自分の疑問やわくわくすることや好きなことに夢中になればいい。』

自分の人生を幸せにしてあげられるのは、自分しかいないのだから。

 

僕は上手じゃない。

文章も下手、巻き込むのも下手である。

何よりも人に頼むのが下手である。

だけど、毎日楽しく奮闘しながら生きている。

そんな僕を助けてくれる人がいる。

今自分1人ができることの小ささ、

自分の力のなさに打ちひしがれるときもある。

できないことを嘆くより、自分が生きることを楽しむことにしました。

 

その結果が、どうあるかは読んでくれた人、

見てくれている人、会ってくれた人が決めること。

 

これからも未熟者ですがお世話になります!