この先どんどん忘れ去られそうなこどもの大切な〇〇の話。
前回の続き
今の子どもにも大切な何かがある。
それは大人にはできた
偏見という名の常識がないこと。
しかし、その常識のせいで大人が
大切なことを忘れつつあるらしい。
大人たちは、子どもを育てるときに
できることを増やそうとする。
前回の例で述べた
ハイハイをしていないと背筋が未発達に
なり、大人の腰痛の原因となる話。
しかし、親ははやく歩かせたいだろう。
大人は、子どもを
はやく大人にしようとする。
たとえば、親は子どもを
いい大人にするために教育を受けさせる
月曜は水泳
火曜は塾
水曜は習字
木曜はサッカー
金曜は体操
土曜は塾
日曜は溜まった宿題
ここでなくなったものに
お気付きでしょうか?
子どもの自由時間はなくなっていく。
自由時間とは遊べる時間。
遊んでたら怒られた経験ありませんか?
遊ぶことは悪いことでしょうか?
大人になって読むビジネス本や
ビジネス講義で述べられることは
「勉強だけでは足りない。
遊ばないと。」
遊びがなぜこれほど重要視されるのか。
社会人になって感じることと合わせると
遊びとは、
自分が好きなことを
やりたいだけやること
だと思う。
上のスケジュールでも子どもが
全て好きならばいいが、違うのでは?
遊びとは主体的。
習い事は主体的ではないのです。
遊びは疲れない。
ずっーーーーとやってられること。
小さな頃から主体的な行動や
主体的な時間を過ごせてない人は
どうなるでしょうか?
たとえ、20年与えられて勉強しても
65歳の定年を考えれば残りは、45年。
45年の過ごし方で人生は大きく変わる
とは思いませんか?
本当に人生で大切なことは、
主体的に行動し、
主体的な時間を過ごせること。
だとしたら、習い事で作られた
受け身しかしらない人たちは
常に受け身で終わるのだろう。
すでに社会には答えはない。
だからこそ仕事に答えはない。
答えを創り出す人は、
たくさん与えられた人達なのか
自ら楽しみ動いてきた人達なのか
昔から変わらない子どもにある
大切なものは、
やってみたいという好奇心。
好きっていう気持ち。
それを行動に移せる遊ぶという時間。
みなさんはどう考えますか?