大企業を脱サラした24歳の丹波篠山での起業日記

丹波篠山を舞台にやりたいことを形にしていきます。何もない若者がどこまでやれるか頑張ります!

赤裸々に営業という仕事を近くで聞いて。

 

営業=セールス

 

営業マン=セールスマン

 
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という印象だった。

 

 

まだこの時期でも研修の段階で

 

まだ営業同行さえしていない。

 

 

だからこそ、書いておきたいことがある。

 

 

①営業としてのコミュニケーション力

②社内を巻き込む力

 

この二点について今感じることを深めたい。

 

①営業としてのコミュニケーション力

 

コミュニケーション力とは、

 

就活でよく聞く

 

 

キラキラワードであったが、

 

私自身甘くはみていなかったが、

 

現実はもっとシビアだった。

 

まず感じたことは、

 

コミュニケーション≠受け答え

 

受け答えを始める前に

 

相手の評価は始まっている。

 

服装、立ち振る舞い、表情


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第一印象をコントロールできていることが

 

第一歩である。

 

次に挨拶。


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どんな表情、どんな声、どんな大きさ

 

 

考えるべきことはまだまだある。

 

さらに、その外見が全世代に

 

マイナスに映らないか?

 

というところである。

 

まずは、自分の見られ方を知ることから。

 

プレゼン力とか、質問力とか

 
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大事だろうけど、

 

そこまでいけないと意味がない。

 

 

その姿、振る舞いが

 

企業のイメージを作り出す。

 

 

企業イメージとしての期待

 

 

その期待と同じ、

 

また、それを超える印象だとすれば

 

 

信頼を生むきっかけにはなるだろう。

 

 

②社内を巻き込む力

 
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「巻き込む力があります!」

 

 

これも就活キラキラワード

 

 

本当に巻き込むとは、どうゆうことか?

 

 

何もない暇な人を誘うのではなく、

 
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限られた時間の中で仕事がある人

 
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を巻き込めるのか?

 

 

同じ会社なのだから手伝って当然ではない。

 

 

そのためには、なにが必要なのか?

 

 

あいつの仕事なら手伝うかぁ

 

 

という、あいつでいないといけない。

 

 

若いうちには、巻き込む対象が

 

 

かなり上の世代になってくる。

 

 

そんな忙しい、上の世代を巻き込むことが

 

 

できるのか?

 

 

また、巻き込むにはなにができるのか。

 

 

それは日頃からの何気ない挨拶

 

 

コツコツ努力する姿勢ではないだろうか?

 

 

 

営業の滑り出しから

 

 

前提にも立てていない自分に

 

 

少しがっくりです。

 

ですが、檄を飛ばし、

 

 

毎日できることを少しずつ増やそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に進歩ある?評価ってなんだろう?

 

ひさしぶりのブログの更新。

 

 

いままでは、書くというアウトプット。

 

 

これまでは行動をアウトプットの中心として

 

活動をしていました。

 

 

そこから見えてきた【評価】の話。

 
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どんな活動や行動でも【評価】は重要です。

 

 

評価】をするからこそ、成長があります。

 

 

私が重視していることは、

 

PDCAサイクルです。


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よく聞かれる方はおられると思いますが、

 

 

計画、実行まではできても、

 

 

効果的な評価、改善は難しいと思います。

 

 

リーダー視点で考えると、

 
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行動には必ずいい面も悪い面もあります。

 

たとえば、

 

企画内容がスポーツ大会とし、


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実行の当日の朝に小雨が降ったとする。

 

天気予報では、昼から晴れ。

 

 

あなたはどうしますか?

 

 

この判断には3つの選択肢がある。

 

  1. 中止にする。
  2. 実行する。
  3. 代替案の企画をする。

 

このどれをとってもいい面、悪い面はある。

 

状況をポジティブにとらえるか、ネガティブ

 

にとらえるかで予測も変わってくる。

 

 

しかし、

 

評価では、判断がよかったか悪かったかの話

 

になってしまう。


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必要な【評価】は、

 

どの選択肢の決断をしても

 

最善をつくせたかどうか。

 

要は『準備ができていたのか?』

 

という部分である。

 

評価すべき点は、二つに絞られる。

 

  1. 実行した企画内容の改善
  2. 判断できた選択肢全ての準備の改善

 

その状況での判断を結果論的に評価しても

 

次に活かすことはできない。

 

結果論ではなく、

 

【行動論】に落とし込む必要がある。

 

 

どうすればよかった?ではなく、

 

あなたがその状況なら次はどうするか?

 

なにができるのか?

 

次にくる判断、未来に活かせる

 

【評価】が必要なのである。

 

 

その評価と改善をつなぐことが

 

効果的な改善を生むことができる。

 

 

そこからみえることは、

 

やっていない行動については、

 

評価はできないのである。

 

だからこそ、

 

考えたことはできるところまでやること

 

が重要である。

 

 

考えた=やってない。

 

 

やったことしか、評価できないなら

 

 

どんどんやる。

 

 

計画は、行動するためのもの。

 

 

計画段階でわからないことは、

 

少し横においておく。

 

 

この思考が重要である。

 

 

さぁわからないことは、ほっといて

 

 

行動をはじめよう。

 

つまり、

 

評価=新たな行動の種

 

 

なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

ゆとりを忘れた大人たち

 

前々回の記事で取り上げた

 

 

こどもたちが忘れてはいけない

 

 

大切なものとして挙げたが

 

 

好奇心好きという気持ち

 

 

さらに、それを表現する時間

 

 

しかし、それを忘れたのは、

 

 

大人たちではないでしょうか?

 

 

大人になれば仕事に終われて

 

 

忙しさで心を亡くしてしまう。

 
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心を亡くすとどうなるのか?

 

 

心を取り戻すために

 

 

時間という余裕を作ることにむかう。

 

 

全てをこなすべきものと変換してしまう。

 

 

やるべきことに

 

本当に大切にすべきものが潰される。

 

 

 例えば、

 

  • 一人暮らしでの食事、睡眠

 

 
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  • パートナーとのコミュニケーション

 
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  • こどもの何気ない成長に寄り添うこと

 
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人によって大切なものは違いますが、

 

 

ゆとりの中でしか気付けないもの

 

 

があったのではないでしょうか?

 

 

世の中は目に見える成果を求めますが


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最近は目に見える成果を急速に

 

 

求めることに違和感を感じます。

 

 

楽しく、面白くやっていたら

 
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成果がでていたというのが

 

 

心の消耗もなく、

 

 

長期的な成長が

 

 

見込めるのではないでしょうか?

 

 

一億総活躍社会というのは


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経済成長の名の下に

 

 

人口減の補填をする一億人が疲弊し、

 
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大切なものを見失う時代へ

 

 

歩んでいくかもしれません。

 

 

目の前にある当たり前を

 

大切にしたいですね(^^ )

 

 

次回はゆとりとキャリアを

 

 

 

組み合わせた記事を!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パラレルキャリア?

 

今回は自分の行動をまとめるために。

 

自分の人生をどう設計するのか?

 
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 先のことがわからないなら

 

 

できるところまでやりたいことを

 

やってみる。

 

 

今流行りのパラレルキャリア

 

 パラレルキャリア(英語:parallel career)とは、ピーター・ドラッカーが著書『明日を支配するもの』等にて提唱しているこれからの社会での生き方のひとつ。現在の仕事以外の仕事を持つことや、非営利活動に参加することを指す。

(出典 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/パラレルキャリ)

 

平日は会社で生きるためのお金を稼ぐ

 

ご飯を食べるためのライスワーク

 
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休日はやりたいことをするための

 

人生を充実をするためのライフワーク

 
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この考え方なら二つの人生を生きられる。

 

 

なぜそのような人生を歩むのか、、

 

 

それは、大学時代を様々な活動を通して、

 

 

感じて考えてきたから

 

 

2つの外部団体

 

2つのアルバイ

 

大学もゼミと特設コースのゼミ2つ

 

そこから学んだことは

 

 

一つのことで壁にぶつかっても

 

別の領域の気付きや経験で解決ができること

 

また、違う活動を続けると

 

自分の中に様々な知識、経験、人脈が

 

掛け算され独自の考え方がうまれること。

 
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スティーブジョブズが言っていたこと

  

 未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです。

 

それを少し感じられた卒業間際

 

 

だからこそ、人生をかけて

 

実行していこう。

 

しんどくない?って聞かれるけど

 

二十年後に後悔してない?っ聞かれて

 

困ってしまう自分のほうが辛い。

 

 
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社会人になってから、9ヶ月。

 

さらにこの言葉を実感する。

 


百聞は一見にしかず
(ひゃくぶんはいっけんにしかず)
百見は一考にしかず
(ひゃっけんはいっこうにしかず)
百考は一行にしかず
(ひゃっこうはいっこうにしかず)
百行は一果にしかず
(ひゃっこうはいっかにしかず)

 

聞いて、見て、わかること

 

現場に行ってわかること

 

現場で動いてわかること

 

やってみるとわかること

 

成果はまだまだですが、、

 

だけど行動しないとなにも生まれない。

 

その生き方をどう実践していくかは、

 

次の記事で(^^ )

 

 

この先どんどん忘れ去られそうなこどもの大切な〇〇の話。

 

前回の続き

 

今の子どもにも大切な何かがある。

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それは大人にはできた

 

偏見という名の常識がないこと。

 

しかし、その常識のせいで大人が

 

大切なことを忘れつつあるらしい。

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大人たちは、子どもを育てるときに

 

 

できることを増やそうとする。

 

 

前回の例で述べた

 

ハイハイをしていないと背筋が未発達に

 

なり、大人の腰痛の原因となる話。

 

 

 

しかし、親ははやく歩かせたいだろう。

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大人は、子どもを

 

はやく大人にしようとする。

 

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たとえば、親は子どもを

 

いい大人にするために教育を受けさせる

 

 

月曜は水泳

火曜は塾

水曜は習字

木曜はサッカー

金曜は体操

土曜は塾

日曜は溜まった宿題

 

 

ここでなくなったものに

 

お気付きでしょうか?

 

子どもの自由時間はなくなっていく。

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自由時間とは遊べる時間。

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遊んでたら怒られた経験ありませんか?

 

 

遊ぶことは悪いことでしょうか?

 

 

大人になって読むビジネス本や

 

 

ビジネス講義で述べられることは

 

「勉強だけでは足りない。

                           遊ばないと。」

 

遊びがなぜこれほど重要視されるのか。

 

 

社会人になって感じることと合わせると

 

 

遊びとは、

 

自分が好きなことを

 

やりたいだけやること

 

だと思う。

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上のスケジュールでも子どもが

 

全て好きならばいいが、違うのでは?

 

遊びとは主体的

 

習い事主体的ではないのです。

 

遊びは疲れない。

 

ずっーーーーとやってられること。

 

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小さな頃から主体的な行動や

 

 

主体的な時間を過ごせてない人は

 

 

どうなるでしょうか?

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たとえ、20年与えられて勉強しても

 

65歳の定年を考えれば残りは、45年。

 

45年の過ごし方で人生は大きく変わる

 

 

とは思いませんか?

 

 

本当に人生で大切なことは、

  

主体的に行動し、

 

主体的な時間を過ごせること

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だとしたら、習い事で作られた

 

受け身しかしらない人たちは

 

常に受け身で終わるのだろう。

 

 

すでに社会には答えはない。

 

だからこそ仕事に答えはない。

 

答えを創り出す人は、

 

たくさん与えられた人達なのか

 

自ら楽しみ動いてきた人達なのか

 

 

昔から変わらない子どもにある

 

 

大切なものは、

 

 

やってみたいという好奇心。

 

好きっていう気持ち

 

それを行動に移せる遊ぶという時間。

 

 

 

みなさんはどう考えますか?